沖縄管理局は、1997年(平成9年)に新規開設された管理局。総路線数2、総駅数65。
路線名 | 種別 | 起点 | 主要駅 | 終点 | 距離 | 電化方式 |
全線 開業年 |
備考 |
沖縄本線 |
本線 |
那覇中央 |
牧港、普天間、石川中央、名護中央 |
渡久地 | 79.3 km | 交流電化 | 2010年 | |
うるま線 |
支線 |
普天間 | 総合運動公園、西与那城 | 沖縄自衛隊前 | 18.8 km | 交流電化 | 2014年 |
かつて沖縄本島には那覇市と嘉手納町・与那原町・糸満市を結ぶ沖縄県営鉄道が運行されていた。太平洋戦争末期に軍事輸送に使用された後、戦闘の激化で1945年3月に運行を停止、その後の地上戦により鉄道施設は破壊された。終戦後、鉄不足によるレールの回収、道路や米軍基地の建設などによる鉄道敷地の分断など、残存した軌道も失われ、県営鉄道は事実上消滅した。終戦直後の1947年11月に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が沖縄民政府に対して鉄道復旧計画の立案を要求、民政府も鉄道敷設計画を提出したが、1948年には道路整備の推進に方針転換したため、鉄道の復旧は実現しなかった。
1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還。県民の願いである復帰が果たされた。
沖縄は復帰した頃から那覇市を中心とした地域に軌道系公共交通機関を導入する構想が持ち上がり、そこに注目したのが当時の太陽電気鉄道総帥である武市良一郎である。1978年には、武市総帥をはじめとする「太陽電気鉄道沖縄鉄道計画準備室」のプロジェクトチームが発足し、武市総帥は沖縄に2ヶ月間滞在、沖縄の交通事情や鉄道用地の調査をした。
しかし当時の沖縄はクルマ社会であり、利用されるかどうかの懸念や建設費用、用地確保など問題は山積みであった。
そして計画の認可を受けたのはプロジェクトチーム発足から約20年経過した1997年のことであった、土地所有者との交渉、政府との交渉、様々な努力によってようやく沖縄に鉄道を建設する事となった。同年、正式に沖縄管理局が開設され、沖縄本線の工事が着工、沖縄都市モノレール開業から一年遅れの2004年(平成16年)で太陽電気鉄道沖縄本線 那覇中央~名護中央間が開業した。
2010年には、名護中央~渡久地間が延伸開業し、武市良一郎による沖縄鉄道計画は完了した。
太陽電気鉄道沖縄管理局 沖縄本線 | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 沖縄県 |
路線分類 | 本線 |
起点 | 那覇中央 |
終点 | 渡久地 |
駅数 | 50駅 |
開業日 | 2004年(平成16年) |
全通 | 2010年(平成22年) |
支線開業日 | 2014年(平成26年) |
所有者 |
太陽電気鉄道 |
運営者 |
太陽電気鉄道 |
管理局 |
九州管理局 |
車両基地 |
名護検車区 普天間車庫 渡久地車庫 |
使用車両 |
R6500系電車 |
路線諸元 |
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営業キロ |
本線:79.3 km 支線:18.8 km |
軌間 | 1,067 mm |
車両限界 | 第二種甲(TLSJ-B1) |
線路数 | 一部複線 |
電化方式 | 架空電車線方式 交流20,000V 60Hz |
閉塞方式 | 車内信号式 |
保安装置 | T-ATC |
最高速度 | 95 km/h |