太陽電気鉄道 京都線
全線開業日 1958年(昭和33年)10月07日
安全装置 T-ATS(太電式自動列車停止装置)

閉塞装置

自動閉塞式
営業距離 122.11km
軌間 1,067mm(狭軌)
電圧 直流電化架線方式 1500V
管轄支社 関西支社(関西管理局)
運行指令 太陽電鉄京都運行指令センター
運行システム

TNTOS-West Kyoto

主な運行車両

Y5000系、Y5500系、E3500系

沿線車両基地

京都検車区(太電山科駅付近)

名港検車区(名古屋駅付近)

他社直通運転 なし

まだ戦時中だった昭和33年(1958年)に当時の太鉄が近畿地方での鉄道事業を始めるため設立した「太陽近畿鉄道」が開業した名古屋と京都を真っ直ぐ結ぶ路線である。

まだ新幹線が無かった開業当時、名古屋~京都間での所要時間が一番短く、国鉄から客を奪ったそうな。

東海新大安~近江山上間には長い「釈迦ケ岳トンネル」があり、トンネル建設で最先端・トップクラスの技術を持っていた戦時中の太鉄を代表するトンネルと言っても過言ではないでしょう。

それにしても山を突っ切るほど真っ直ぐに結ぶとは・・・。

 

昭和55年(1980年)には、太陽近畿鉄道・大曽根電気鉄道・太陽鐵道の3社が合併し、太陽電気鉄道が誕生。この京都線も「太電京都線」となりました。


名古屋~中川春田間は閑静な住宅街、中川春田~東海西川間から少しずつ畑や田んぼが見えてきます。

東海西川~東海新大安は、長閑な畑や山々が見えます。

東海新大安~近江山上は、ほぼトンネルで太陽はほぼ見えません。

近江山上からは、近畿地方へと入りますがほとんど田んぼや畑なのであまり違いはありません。八日市~近江八幡間は、住宅が少しずつ多くなったり少なくなったり。近江八幡~太電山科間は、北に畑・田んぼ・住宅、南に山々が見えます。太電山科からは京都府へ入り、長屋などの少し古い建物が目立ってきます。東福寺~京都間からは、高架線となり南西の方角には五重塔で有名な東寺、北の方角には鞍馬の山々が見えます。

この京都から先は、大阪方面の太電大阪線、そして大阪・和歌山・奈良方面の大四線の2つに分かれます。

 


歴史年表

1954年06月14日|太陽近畿鉄道京都線着工

1956年02月25日|名古屋~大泉(現 東海大泉)間が新規開業

1958年10月07日|大泉~京都間が延伸開業し、京都線全線開業

1980年04月01日|太陽近畿鉄道と太鐵が合併、太陽電鉄となる

1980年08月01日|寝台急行「東海横断」が運行を開始

1991年08月25日|寝台急行「東海横断」が運行を終了

2000年03月15日|東福寺~京都間が高架化

2008年06月27日|寝台特急「東海横断」が運行を開始

2013年04月15日|寝台特急「くにさき」が運行を開始

2014年04月01日|準急を廃止

 

運行種別

各駅停車 Local

各駅に停車する列車。1時間辺り0本~2本の本数がある

 

快速 Rapid

名古屋、中村区役所、岩塚、城、鹿伏兎町、東海大井、東海大泉、東海大安、東海新大安、八日市、近江八幡、新野洲、近江守山、手原、近江馬場、近江笠山、太電山科、東福寺、京都に停車する列車。

1時間辺り0本~1本の本数がある。

 

急行 Express

名古屋、中村区役所、岩塚、城、東海大泉、東海大安、八日市、近江八幡、近江守山、手原、近江笠山、太電山科、東福寺、京都に停車する列車。

1時間辺り1本~5本の本数がある。

 

特急「風待草」 INTERCITY「KAZEMACHIGUSA」

名古屋、東海大泉、近江八幡、太電山科、京都に停車する有料列車。

京都から先、大阪線に直通する。1時間辺り0本~2本の本数がある。

(特急料金は、太電一般の物)

 

特急「金桜」 INTERCITY「KANAZAKURA」

名古屋、京都に停車する有料列車。

京都から先、大四線に直通する。1時間辺り0本~2本の本数がある。

(特急料金は、太電線・大四線内共に一律800円)

 


【建設された経緯的な物】

この路線は、当時の大曽根電気鉄道社長である「武市 林太郎」氏が建設を提案しました。林太郎氏は、「何で国鉄は米原周りなの? ここの山を突っ切れば所要時間短縮できるよ。トンネルなんて親戚の力を借りれば何とかなるだろう」と言うぶっ飛んだ提案をし、親戚である当時の武市財閥総帥兼高円寺電氣軌道社長であった「武市 太郎」氏に建設を依頼。太郎氏は、「うちの技術なら何とかなる」っと言う事で建設計画がはじまりました。

戦時中の乏しい資材で何とか建設を実行、しかし大曽根電気鉄道は戦争により経営が苦しい状態、仕方なく 武市財閥系の会社として「太陽近畿鉄道」が設立され 太陽近畿鉄道の路線として開業しました。その後、大曽根電気鉄道は太陽鐵道と合併、現在の太陽電気鉄道となっています。

武市財閥って色んな意味で凄いんですね(棒)

まあ、今作った適当な話ですけど